キルギス峠
アフガニスタンのワハン回廊とパキスタンとの国境線上にある標高4,850mの峠である。
人々の往来はない。キルギス人が交易の為行き来するのは、一つ北側にある、イルシャット峠である。位置するところは、KKHのスストから、西にチャプルサン川を遡上、南からイルシャッド川に沿って北上し、二時間ばかり歩いて直角に西に進路を変更し、そのまま直登したドンズキにある。
ここはもうパミ−ルの領域であろうと思われる。KCR(カラコルム協議会報告)によるカラコルム山脈の北限は西のチリンジアンからチャプルサン川を下って真っ直ぐ東に進んで、クンジュラブ峠に到っている。またヒンド−kシュ山脈も東限はチリンジアンである。従ってここはパミ−ル高原の南東端に位置する。このキルギス峠の両サイドに我々でも登れそうな山が聳えている。そう言う写真を入手したのが、今回の遠征先を決めた要因になった。以下はその両サイドにある、パッキリオイ−クとボボンピ−ク登頂の遠征記であります。
8月18日(金)●
ススト 7:40 ー ジアラット 12:10
昨日ミンタカ峠から帰って来て、久しぶりにベッドで眠った。スストの夜は涼しかった。標高2,800m、日本なら寒いくらいの高所である。夜半から雨が降り出したようだ。朝起きてみると、周囲の山々は肌を真白く染めていた。標高4000m位まで雪になったようである。今日はしきり直してキルギス峠へ向かう。
雨は小雨ながら降り続いていた。チャプルサン川はスストの街外れに流れ込んでいる。道路はKKHを少し遡上し、Vターンして街外れまで戻り、チャプルサン川の左岸に沿って登っていく。道路は道幅こそ狭いが、状態は良い。断崖絶壁をへつって行くのは相変わらずである。やがて橋を渡って右岸の河岸台地に出る。絶壁に肝を冷やすことから逃れた、が、今度は寒さに堪え忍ばなければならなくなった。川から吹き上げてくる風が冷たいのか、もう3,000mを越えているためなのか、窓なしのジープには寒風が容赦なく吹き付け、手持ちの雨具では凌ぎきれなかった。二時間半ばかり堪え忍んで、スペンジ村に到着。ここで今回の遠征に参加することになった、キルギス峠辺りに詳しいポーター兼ガイドのニガバン、ジャーのお家に立ち寄る。コンクリート造りの平屋根一階建て、窓は天窓一つ。入口入って右側がトイレ、その奥に25畳位のジュータンを敷き詰めたところが、食堂、居間、寝室兼用の広間。ここで家族総出の歓待を受け、ビスケットにチャパチイ、オムレツに紅茶を頂き、やっとふるえる身体に暖気が戻った。お世辞じゃなくニガバンの奥さん別嬪さんだった。ここで別車に積んである装備からヤッケやオバーズボンを取り出し、すっかり冬支度にみを包んで出立。途中イシュクック氷河が膨大な岩石を運んで積み上げた、広大なモレーンの下をかなりの時間をかけて駆け抜け、ドライレーク(氷河湖が乾燥しているところ)を通ってジアラットにお昼に到着した。
ジアラットには聖者バーバグンデイの剣を祭ったモスクの様な、周りに塀をめぐらし旗を沢山立てた平屋の建物があって、地元の人達の聖なる集会所になっていた。ここは宗教に関係なく、重要な相談事などを行っていて、勿論お祈りにも使用されていた。その向かいに宿坊まがいの平屋が建っていて、ここでランチをご馳走になった。羊をトマトで煮込んだ、簡素なものだが、淡泊な味付けが我々にあっていて、結構美味しかった。お礼に700ルピーを寄進させてもらった。この建物はイルシャッド峠を」越えてやってくる、キルギス人の宿泊所にもなっている。彼らはここまではフリーパスでこられるらしい。雨は相変わらず小雨ながら降ったり止んだりを繰り返していた。
8月19日(土)●ー◎
ジーアラット(3,500m) 11:30 ー ズイウルドウ(4,100m)15:30
朝、昨日からの雨はまだ続いていた。すぐ目の前の山も白くなっていた。3,600m位まで雪が降りたようだ。パキスタンに来てこんなに降り続いたのは初めてである。雨の上がるのを待って、11時にポーター20人を雇って出発。雨宮と小生馬で行く。馬はポロに使っているとか。米山と池内は一足先に自分の足で歩いていった。馬は一日3,000円、チャプルサン川の広い河原をゆったりのんびり、実に快適である。ワイオミングの平原を行くバッファロウ、ビルになったようで爽快な気分である。こんな楽しみが待ちかまえているとは、昨夜までは夢にも思わなかった。こんな事が出来るのも、ミンタカ峠で高所順応してきたお陰である。そうでなければこの高さ(3,500m)で歩きもせずに、馬に乗って4,000mを越えて行くのは危険である。チャプルサンの広い河原をゆっくり歩いて、イシュクマン氷河が南から河原に押し出しているその下辺りで,北からイルシャッド川が流れ込んでくる。その少し先の斜面を横切るように登って草むらの台地に出たところが、ベスクエベン。カルカがあり牛を放牧しているが、水は200mほど下のチャプルサン川まで汲みに行かねば無い。行く手に大きな釣り鐘を伏せたような岩峰が聳えていて、それを目標に登っていく。馬はふがふがと鼻息が荒くなってきた。シンドイのだろう、降りて一緒に歩いてやりたいが、こちらも銭を払っている都合上そうもいかない。それでも何度か馬を下りて歩いた。馬だけでやっと通れるところも何カ所かある。何しろイルシャッド川を遙かに見下ろしながら、その斜面をはい上がって行くのだから。斜面を登りきって河原がすぐ下に近づいてきたところが、ズイウルドー、今日のキャンプサイトである。ここは単なる中継地らしく、何の施設もない。ポーター達が次々と到着してきた。最初に来たポーターと最後に来たのとでは二時間もの差があった。ここには遠征隊なるものは滅多に来ない、彼らも慣れていなかった。その分素朴である。
8月20日(月)○ー◎ー○
ズイウルドウ(4,100m) 7:30 ー イルシャッド(4,250m)
8:55
(写真はキルギス峠を望む)
川は一キロほど直進してゴルジュに消え、そこから直角に西に方向をかえて3キロばかり先に天高く安らいでおわしますキルギス峠へと達している。道はその右岸の岩場を高巻きして、川が西に方向を変えた辺りで河原に降り、だだっ広いU字圏谷の真ん中を行く。今日も雨宮と小生、馬で行く。もう止められない、このまま峠まで行きたいものである。B、Cにはあっけなく着いてしまった。昨日はポーター達が楽するのにつき合わされたようである。ここにはストーンサークルがあって、ポーターの寝床になった。ポーターは勿論牧童でもある。彼らは日本人のようには雨を気にしない。年間の雨量が250mmくらいと、極端に少ない乾燥地帯のせいもるのだろう。雨もほとんどの場合霧雨状のもので、土砂降りになったら、あちらこちらで土砂崩れが起きて大騒ぎになる。それ故彼らが臨時に使う塒は石垣の青天井である。我々はそのすぐ横の草地にテントを張る。我々4人のが二張り、ガイドとハイポーターのが二張り、キッチンテント一張り、後は炊事用の簡素な天幕が一張り、B、Cが出来上がった。ここからキルギス峠とその両サイドの峰が手に取るように眺められる。雪が消えてしまっているのでは?と心配していたが、峠の南側のピークはたっぷりと付いていた。北側のピークはどうも雪がなさそうである。ガレバ登りを強いられそうである。
8月21日(月)○ー◎
B.C 7:10 ー A.B.C(キルギス峠4,850m) 10:30 -
12:00 ー ボボンピーク(5,180m) 14:50-14:05
ー A.B.C 14:30
ハイポーターのアリモサとアシスタントのファザールカンそれにニガバンの三人、南側のピークの偵察とフィクス工作のため、一足先に出かける。我々も後を追いかけ三々五々出かけていった。今日は馬で、と言う訳にはいかなかった。夕べ降った雪が峠のかなり下の方まで薄いながら積もっていたので、馬は駄目と言うことになり、自分の足を使う事になったしだい。一キロほど歩くと南に切れ込んでいる谷があり、その奥がイルシャッド峠である。此処を過ぎると本格的な登りの開始である。雪の解けた砂礫の斜面をトラバース気味に峠を目指す。峠にはほんの少し雪の無い場所があったが、地盤が悪いので雪上にテントを張った。テントと食料はポーターの中から強力な者を選んで運んでもらった。峠は珍しく狭かった。今までの峠とは様子が違い、峠と言うよりもコルと言った場所で、テントサイトも狭かった。峠に着いて暫くすると、アリモサ達が降りてきた。全てOK何時でも登れます、との報告で、米山、池内アリモサを伴って勇んで出かける。彼らを見送ったあと、30分遅れて12時に反対側のピークを目指す。メンバーは雨宮、飯田、ファザールカン。
北斜面と南斜面ではこんなにも違うのかと思うほど、こちらには雪が無い。皆無と言っても良いくらいで、頂上までガラ場通しで、雪を踏んだのはほんの僅かであった。振り返れば北面に米山パーテイのトレースが雪上にくっきり残っていた。人影はなくもう頂稜に至っているのだろう。一時間50分のアルバイトで頂上に到達した。頂上は台形になっていて、北側はイルシャッド峠になぎ落ちていた。ワハン回廊はもう圏谷になっていて、いくつもの山並みが重なっていて、何処が回廊なのか判断できなかった。このピークは地元の人達に、ボボンピーク、と呼ばれていた。北から西へパミールの山々が遠く霞んでしまうまで連なっていて、素晴らしい展望である。南の空にはカンピレデイオールとおぼしきピークがカラコルムの山並みに突き出ているのが遠望出来た。如何なる山でも頂上に登った気分は格別である。まして5,000mを越えていれば、少しの運動でも息があがる、時には心臓が口から飛び出してくるのでは、と思うくらいの時もある。ミンタカで高所順応したお陰で此処までこれた。これて良かった、登れて良かった、ああ山は楽しい素晴らしい。下りは一気に下れた、あっけないくらいでらった。帰ったら米山パーテイもすでに帰着していた。本日の登山まずは成功裏に納め祝着至極であった。この日峠に泊まる。
8月22日(火)○ー◎
A.B.C 7:00 − B.C 8:10
夕方から降り出した雨は夜半に雪に変わっていた。テントの周りはは10pくらい雪に覆われていた。朝5時雪はまだ止んでいなかった。今日は山を入れ替えて登る計画であったが、この天気では登れそうもないので、下山することにした。これ以上積もるとテントサイドも下山ルートの斜面も雪崩の危険に晒される恐れも出てくる。やばい事はなるべくさけるに越したことはない。河原まで降りるとポーター達が、大きなタンポポのような花を摘んで花束とレイを作り、ポリタンをドラム代わりにして、歌と踊りで出迎えてくれた。花束をもらってレイを架けてもらい、彼らの輪の中に入って一緒に踊った。彼らは歌いドラムで拍子をとって、我々の踊りにリズムをつけてくれる、素朴な歓迎ではあるが、心のこもったものであった。コックのイブラヒムが紅茶を運んできてくれた。紅茶を飲んでポーター達と皆一緒にテントに帰る。山は雲の中に隠れたままであった。
(写真はベ−スキャンプにて登頂歓迎の宴)
8月23日(水)○
B.C 7:20 ー ズイウルドウ 8:45 ー ジアラット
13:00-14:30 ー ススト 18:00
朝日がパッキリピークとボボンピークを銅色に染めていた。どちらも初めて人を受け入れた恥じらいで頬を染めているのかもしれない。手を振って別れを告げ、一目散に下山する。ジアラットでうまくジープを拾うことが出来、夕刻スストに帰り着くことが出来た。
登山は無事終了した。